おとめ山公園
アップデート:2021/04/12
もともと将軍の狩猟場で立ち入り禁止の
「御留山」「御禁止山」が由来で
おとめ山という柔らかいイメージと真逆のおとめ山公園。
この山全部公園で散歩道が整備されており
頂上側には芝生広場やいい感じの四阿などで憩えます。
公園中央部に道路(通称名:おとめ山通り)があり、公園が西側と東側に分かれています。 西側の園内はコナラやスダジイなどの雑木林で構成され、かつての武蔵野の景観を残しており、森林浴を楽しむことができます。中央部の谷間には湧水によってできた池があります。池の源流にはサワガニ・ヌマエビなども見ることができます。 当時、このあたりが蛍の名所であったことから、湧水を利用した蛍の飼育所があり、住民の方々によってヘイケボタルの飼育やイベントがおこなわれています。 (新宿区HP)
おとめ山の沿革
江戸時代には、このあたり一帯をおとめ山と呼んでいました。この名は、将軍家の狩猟地で、立ち入り禁止の意味の御留山から起こったものと言われています。 明治に入り、御留山の周辺は近衛家の所有となりましたが、大正初期に現在のおとめ山公園を含む西側半分を相馬家が取得し住まいとしました。相馬家は敷地内に長岡安平の手による池泉を中心とした回遊式庭園を築造し、現在その一部が公園に残っています。
その後、敷地は分譲され、戦後は大蔵省が所有していましたが、荒れ果てていたものを、地元の人々が大蔵省に陳情して、公園として整備されることになり、昭和44年に新宿区立おとめ山公園(面積約1.5ha)として開園しました。
その後、区は、公園のみどりや湧水の保全拡充を図るとともに、あわせて、地域のレクリエーションの場や防災拠点を創出するため、隣接地を取得して公園を格調することとしました。 そして、平成26年10月、拡張整備が完了し、面積約2.7haの現在の公園になりました。(案内版から)