山谷堀公園
アップデート:2024/12/22
かつて遊郭へ通じる水路だった「山谷掘」。その歴史を抱えつつ、現代の公園として姿を変えたのが細長い「山谷掘公園」。水路の面影をどこかに感じながら歩いてみれば、この公園が持つ多彩な表情に気付くだろう。
まず出迎えるのは、色鮮やかな複合遊具。子どもたちの歓声が響き渡り、賑やかな空間を形作る。次に目に入るのは健康遊具。大人たちが真剣な表情で身体を動かし、ここが単なる散策路ではないことを教えてくれる。そして、ところどころに設けられたベンチや木陰のスペースは、日々の疲れを忘れさせてくれる憩いの場だ。
水路が公園になり、歴史が静かに横たわる山谷掘公園。その細長い道を歩けば、時代を越えた物語が聞こえてくるような気がする。
かつて山谷掘は、北区王子の音無川を通り隅田川に流れる水路だった。遊郭が新吉原に移転した後、当時の江戸の人々にとって、猪牙舟に乗って山谷掘を通り、吉原の遊郭へ遊びに行くことは、大変贅沢であった。
その後、山谷掘は、経済成長に伴う水質汚濁と悪臭が問題となり、東京都により昭和51年(1976)頃から暗渠化された。掲載写真は、暗渠化される前の山谷掘の様子である。昭和52年(1977)以降、台東区が上部を公園に整備し、山谷掘公園となった。
(山谷掘ヒストリカツアー)