大蔵東方公園 | 町田市公園探訪

大蔵東方公園

アップデート:2024/09/14
大蔵東方公園

大蔵東方公園は、ちょっと高台に位置するため、広がる眺めが魅力の公園です。長年愛されてきたベテランの滑り台は、子どもたちに大人気!スプリング遊具も充実しており、遊びのバリエーションが豊富です。さらに、広々とした砂場では思う存分砂遊びが楽しめるので、小さなお子さまにもおすすめ。景色を楽しみながら、のびのびと遊べるこの公園です。

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

2018年の風景

大蔵東方公園

大蔵東方公園は傾斜に沿ったかたちで展開していて、 遊具エリアには階段で行きます。 階段の途中にある遊具エリアには滑り台がありますが 坂の途中から滑り気分にもなりちょっとスリルを感じられるかもしれません。 他にはスプリング遊具や砂場で遊べます。

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

 

大蔵東方公園

大蔵東方公園

  • 所在地:町田市大蔵町2047-14
  • 面積:696.28平方メートル
  • 街区公園面積ランキング232位 (493公園中)
  • 開園日:平成6年9月28日 今年目
  • 最寄りバス停:下大蔵
  • 大蔵町の人口:9,104人(令和2年1月現在)
武蔵国都筑郡余戸郷に属し、その後、多摩郡小山田庄に属し、その後、多摩郡柏木領に属した。村は大蔵村と台村に分割された。
明治時代後半から、大蔵の農家では副業として養蚕が盛んに行われた。1897年(明治30年)に蚕糸を扱う「鶴見川合資会社」ができ、横浜の貿易会社を通して米国に輸出されたが、1914年(大正3年)に閉鎖された。昭和の初めごろから繭(まゆ)の大部分は八王子片倉の片倉製糸工場に出荷された。
鎌倉時代に大蔵三郎竹高という者が住んでおりここから地名に採られたとも伝わる。また、市川家の家伝「市川系譜」に、景行天皇40年以降、東夷征伐の準備のために近郷の貢米を保管するための蔵を設けたので、大蔵の郷と呼ばれるようになり、後に村名なったとも伝わる。しかし、地名の由来については単に大きな蔵があったためそう呼ばれたなどという言い伝えもあり、定かではない。(大蔵町 (町田市) – Wikipedia)
投稿日:2018年1月26日

“大蔵東方公園”の遊具と施設

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