原町田2丁目旭ヶ丘公園
アップデート:2021/02/19
原町田2丁目旭ヶ丘公園は 「この土地を地域の人々の生活に豊かな潤いをあたえるために提供したい」 という市民の協力によりできた公園です。 緑溢れるスペースでじっくり憩えます。
鎌倉時代頃より鎌倉街道が通っていたが、江戸時代半ば頃までは鎌倉時代に宿の置かれた本町田が中心で、この地域は農地や原野が広がっていた。江戸時代後期頃、八王子から横浜へ生糸を運ぶための絹の道や、東海道・大山街道の脇往還がこの地を通り物資の中継地となったため、次第に生糸取引や宿場として栄えるようになり、製糸・織物・乾物を中心とした商業も盛んに行われた。昭和に入ると、近隣地域に原町田陸軍病院・原町田陸軍通信学校・原町田陸軍兵器学校(いずれも原町田と冠しているが所在地は相模原市)や陸軍士官学校(座間市)が移転し、1942年に綾瀬市と大和市にまたがる厚木飛行場が完成すると、軍人や軍属の住民が周辺地域に増加し、原町田周辺がより発展することとなった。第二次世界大戦時は陸軍関係の学校や病院は相模大野周辺に多かったものの、軍需工場が少なかったためか空襲の被害は少なかった。
地名の由来 町田村(現在の本町田)の近隣の原野を開拓した村であったことから。(原町田 – Wikipedia)