下小山田 | 町田市公園探訪

下小山田

下小山田の場所

下小山田・町名の遍歴・由来

多摩ニュータウンの造成開発に伴い、一部が1973年(昭和48年)12月1日に東京都多摩市へ編入され、一時期多摩市下小山田町が存在した。 平安時代後期、坂東八平氏の一つ秩父平氏の一族有重が武蔵国小山田荘に移り住み小山田氏を名乗る。小山田荘は有重の子息に分割されたほか、武蔵稲毛荘などを領した。秩父平氏・小山田氏の一族は鎌倉幕府の創設に携わるが、元久2年(1205年)に畠山重忠の乱に連座して衰微する。鎌倉時代には甲斐国東部の郡内地方に進出したという。南北朝期には高家が新田義貞に属し、建武3年(1336年)5月の湊川の戦いにおいて義貞の身代わりとして討死したという。下小山田町の大泉寺には有重・行重親子と高家の三基の宝篋印塔が残されている、 1447年には長尾景春によって、小山田城が落城している。その後、後北条氏の支配下に入っているが、その頃には上小山田村、下小山田村の名が見える。

下小山田のリンク集