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金剛寺旧跡公園
- 所在地:日野市南平一丁目34番地14
- 面積:180.00平方メートル
- 街区公園面積ランキング152位(159公園中)
- 開園日:平成10年8月14日 今年目
- 最寄りバス停:南平一丁目
- 南平1丁目の人口:2436人(令和2年1月1日現在)
公園案内版金剛寺の裏手には、沢一つ隔てて、高場の畑が開けていた。 一説によると、元そこには金剛寺が東面して、伽藍を構えていたが、その後高台を降りて、現在の場所にその構えに遷ったという。 この公園を含む高台な地域が、金剛寺の境内で、本堂はずっと西寄り東向きに建てられていた。 大正時代まで、桑畑だったその旧跡の西側に続くあたりが「こんどう谷戸(地名)」の入口にあたり、そこに広い地積を占めて平節蔵氏の屋敷があった。 この屋敷の一隅には、文永八年十一月の起立で土地の人々が平維盛の墓と読んでいた大型板碑が建っていた。(現在、市文化財の指定を受けている。) このあたりは、鎌倉幕府の御家人一族の後裔と考えられる平助綱(地頭)の居館があったと推測される。その頃不動堂は、ここより南方にそびえる、おっさん(山名)の頂上北向きに鎮座されていたが、建武二年八月四日夜、台風により堂宇が倒壊し、本尊の脇侍などがみな損傷したので、これを山麓に曳きおろし、修理を加えた。一方、不動堂は康永元年に現在地に再建され、ここに本尊の遷御を仰いだ。 金剛寺が台下に降りたのは、その時よりやや早かったものと推定される。