下河原線広場公園は昔このあたりを走っていた下河原線の駅をモチーフにした公園です。プラットホームがあり、パーゴラは駅の屋根に、そして地面には線路風の模様。府中市が今でも下河原線を大事にしていることがわかります。そして下河原線の名残は緑道にも残っています。
下河原線広場公園
- 所在地:府中市寿町三丁目3番地
- 面積:424.95平方メートル
- 開園日:平成7年3月31日 今年目
- 最寄りバス停:ハローワーク府中
- 種別:広場公園
- 下河原線広場公園 東京都府中市ホームページ
下河原線の歴史
ここは、かつて国鉄下河原線の線路敷きでした。 明治四十三年(一九一〇)、東京砂利鉄道が多摩川の砂利の採取運搬を目的に、国分寺から下河原(府中市南町三丁目)まで貨物専用鉄道を開通させました。その後大正三年(一九一四)の多摩川大出水による被害で一時閉鎖しますが、大正五年(一九一六)に軍用鉄道として復活し、大正九年(一九二〇)に国有化され、名称も下河原線となりました。昭和八年(一九三三)に東京競馬場が開設すると引き込み線がもうけられ、昭和九年(一九三四)より競馬開催日に限り乗客を輸送するようになりました。戦時体制が深まってきた昭和十九年(一九四四)に、国分寺〜東京競馬場間の常時運転が開始されましたが、昭和四八年(一九七三)の武蔵野線開通にともない旅客が廃しされ、六六年にわたる歴史の幕を閉じました。 この跡地は、府中市が国鉄から用地を受けて自転車・歩行者道、華と緑の緑道として整備し、郷土の森や市民健康センターなどを結ぶ、市民のための道として生まれ変わりました。