初台児童遊園地
アップデート:2024/09/28
2つの山が並び立つ贅沢な空間、
その小さな公園には、
静と動が共存する。
手前の山は、
滑り台やラダーで子どもたちを誘い、
疾走感と冒険を求める
「動」の象徴。
一方、奥にそびえる山は、
階段とネットで静寂を引き寄せ、
挑戦する者にゆったりとした
登頂を許す「静」の領域。
その2つの山を睨みながら、
亀が悠然と鎮座する。
限られた住宅地の中で、
互いの存在を強く主張し、
この場所は、対立しながらも
調和を奏でる遊びの舞台。
初台出世稲荷大明神・・・・
新宿から1つめの駅初台の初台児童遊園地。この公園にはどんどん無くなっていく山型遊具、それも2山もある贅沢な公園です。この2つの山、ライバル心があるようで黄色のチューブ型滑り台、赤い梯子とオリジナリティをぶつけ合います。その2つの山をつなぐのが亀です。
2つの山は亀で渡ることができます
噴火口は砂場に
遊んだ後は初台出世稲荷大明神へ
初台児童遊園地は、2つの山型遊具が並び立つ贅沢な公園。手前の山は滑り台やラダーがあり、元気に遊びたい子どもたちにぴったりの「動」を楽しむ場所。奥の山は階段やネットで静かに登りながら、じっくりと遊べる「静」を感じられます。そして、2つの山を見守るように鎮座するのは、穏やかな亀のオブジェ。コンパクトな住宅地にありながら、それぞれの遊具が主張を持つ個性的な空間で、子どもたちは思い切り楽しめます。
室町時代後期の太田道灌が、武蔵国豊島郡の代々木村(cf. 藩政村としての代々木村〈武州御料他 代々木村〉および近代行政村としての代々木村〈東京府南豊島郡代々木村〉の前身に当たる自然村・代々木村)に築いた8か所の砦のうち、一の砦(狼煙台)のあった場所が「初台」と呼ばれるようになったとの説がある[7]。また、安土桃山時代の末、土井利勝の弟・土井昌勝の妻で徳川秀忠の乳母でもある初台局(はつだいのつぼね)が天正19年(1591年)に下賜された代々木村内の200石の所領にゆかりがあるとの説もある[8][7]。天正18年(1590年)徳川家康が江戸城に入ってからも、この辺は江戸の郊外の農村であったとされる。(初台 - Wikipedia)