虹ヶ丘について 昭和四十八年に行われた区画整理により、早野の字山田と境塚、王禅寺の志村谷の一部、さらに川崎、横浜両市の境界変更に伴って横浜市の一部をとり入れてできた町で、虹ヶ丘と命名されました。その後、昭和五十一年に住居表示が実施されました。二、三丁目は公団虹ヶ丘団地の棟が立ち並んでいます。 (小田急小田原線・多摩線の周辺における住居表示に伴う町名と町の変化に関する調査研究から)
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