万福寺檜山公園
アップデート:2021/01/23
万福寺の由来
万福寺の地名はかつてこの地に存在したであろう寺の名が地名になったと考えられている。村の中央を津久井道(県道世田谷町田線)が通り、相模北部の物資がこの道を通って、江戸へ運ばれた。高石(現百合丘)境が分水嶺で、万福寺側は鶴見川水系となる。万福寺の名称について、『風土記稿』には「古、万福寺と云寺院のありしゆへかゝる名もあるにや、今は土地にも其伝へなし、またまさしく寺跡と覚ゆる地も見えず」と記され、村名の由来は不明ですが、『小田原衆所領役帳』に既に「万福寺」の村名が見られます。
(小田急小田原線・多摩線の周辺における住居表示に伴う町名と町の変化に関する調査研究から)