弘法松公園
アップデート:2021/01/25
百合ヶ丘にある筆の誤りで有名な弘法大師の松、弘法松公園です。 山の上のさらに上にあるこの公園どんなすごい松なのか? しかし残念ながら跡だけがありました。 随分登ってきたのでなかなかの展望で展望席も設置してあります。 遊具コーナーでは滑り台、砂場、鉄棒セットなど一通り揃っています。
この丘には、高さ三十メートル、根廻り十一メートルあまりの大きな松の木がありました。その松には、つぎのような伝説がありました。 弘法大師が諸国を行脚していた折、この地にお寺を建てようとしました。しかし、見渡したところ山々の谷は九十九谷で百谷にひとつ足りませんでした。 そこで弘法大師は、なぜか寺をあきらめ、そこに一本の松を植えました。それがのちに大きくなり、弘法松といわれるようになります。 この地は、かつての都筑郡と橘樹郡の境界にあたる峠であり、津久井街道を往きかう旅人に、この巨松はよき道標でもありました。 その松も昭和三十一年の火難のため衰退し、その後枯死してしまいました。現在の松は昭和三十七年に植えられたものです。 その後、数回の代替わりを経て、現在の松は平成十五年に植栽したものです。(公園案内版から)
百合丘の由来
この地域は多摩丘陵にあたり谷戸が多くあり、雑記林や草原が続き、小さな谷間に水が流れる自然の多い所でした。山百合もたくさん生えていました。 昭和30年代前半に住宅公団が、ここに大型住宅団地を造成し、団地の名前としてつけたのが「百合ヶ丘団地」でした。 神奈川県下では最初の大団地だったため、県の花「山百合」にちなんで命名したということです。町名も区画整理の後、百合丘1〜3丁目となりました。
(やさしい川崎の地名)